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Dr. William Paul を偲んで (和訳)

2015年09月30日 NEWS

bill paul 写真:Dr. William E. Paul (2005年RCAIにて)
 William E. Paul 先生が2015年9月18日に他界されたことに、理研 統合生命医科学研究センター(IMS)は深い悲しみと喪失を感じています。Paul先生は、IMSの前身である理研 免疫アレルギー科学総合研究センター(RCAI)のアドバイザリー・カウンシルメンバーとして(2004年〜2013年)、その後、IMS のアドバイザリー・カウンシルメンバーとして(2013年〜2015年)、ほぼ毎年、横浜市鶴見にある当センターを訪問していました。

 サイトカイン制御やアレルギー分野のエキスパートであるPaul先生は、センターのアレルギー関連の研究プロジェクトとそれを遂行する研究者にとってかけがえのない支えでした。どのプロジェクトにも、豊富な免疫学の知識と世界的な視野をもって、批判的かつ重要なコメントや励みになるアドバイスを与えて下さっていました。私たちはPaul 先生から、基礎科学の重要性を学び、基礎研究の成果をヒトへ応用する際に概念実証(proof of concept)を確立することの必要性を教えられました。我々の限られた資源で、どうやって世界の最先端研究に挑戦するのか、世界各地の大きな研究所とどうやって競争していくのか、常にPaul先生から問いかけられてきました。彼の助言を受けて、センターは強力な中央支援設備(動物施設、FACSラボ、イメージングラボ、ゲノミクスラボ)を作り、現在、IMSの研究室は最新技術を利用し、高度な実験サポートを得られるようになっています。また、ENU(N-エチル-N-ニトロソウレア)誘発突然変異マウスプロジェクトについて、Paul先生の、どうやって低い突然変異率の問題を克服するのか、という指摘がなければ、アトピー性皮膚炎を示すSpadeモデルマウスは得られなかったかもしれません。また、Paul先生は私たちに、マウスを用いて実験を行っていても、常にヒトを念頭におくことの重要性を教えてくれました。

 Paul先生は、IMSの研究者だけでなく、日本の免疫研究者にとっても、良きアドバイザーでありました。1970年に日本免疫学会が設立し、70年代に日本の免疫学のパイオニアたちが、研究のため海外に渡航しました。これら日本の初期の免疫学者の多くが、アメリカNIHの国立アレルギー・感染症研究所にいるPaul先生を訪れました。彼が誰に対しても、例え若く経験の浅い研究者であっても、平等でオープンに接してくれたからです。Paul 先生の援助があってこそ、日本の免疫学が現在のように花開いたと言えるでしょう。Paul先生は、熱意あふれる人でした。2011年にマグニチュード9.0の東日本大震災に見舞われた際、Paul先生はじめ何人ものアドバイザリー・カウンシルメンバーから、当時のRCAIの谷口克センター長の所へ、復興を支援したいとの申し出がありました。センターは彼らの援助によって、被災した研究室へ、研究に必要な物品、生物学サンプルやマウス等の供給、免疫学の会議に研究者が参加するためのサポートなど、システマティックな支援努力を開始することができました。

 Paul先生が笑顔とともに温かい言葉をかけて下さったこと、そしてPaul先生から教わったことを、決して私たちは忘れません。IMS は、彼の功績を讃え、新しい時代のヒト免疫学をヒト遺伝学やゲノミクスと統合して切り拓いてゆきます。

小安 重夫
理化学研究所 統合生命医科学研究センター
センター長