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筋萎縮性側索硬化症(ALS)の新規感受性遺伝子を同定

2011年06月10日 PRESS RELEASE

-ALSの発症解明に新たな一歩-

  • 大規模ゲノム関連解析により新たなALS感受性遺伝子「ZNF512B」を発見
  • 日本人で発見されたALSの感受性遺伝子。東アジア人では初めて
  • ZNF512B遺伝子は神経保護シグナルに関与、発現低下するとALS感受性が高まる

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、筋萎縮性側索硬化症(ALS :amyotrophic lateral sclerosis)の発症に関与するZNF512B遺伝子の一塩基多型(SNP: single nucleotide polymorphism:)※1を発見しました。これは、理研ゲノム医科学研究センター(鎌谷直之センター長)骨関節疾患研究チームの池川志郎チームリーダー、飯田有俊上級研究員と文部科学省の個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクト(オーダーメイド医療実現化プロジェクト:久保充明プロジェクトリーダー)※2の研究グループを中心とする多施設共同研究※3による成果です。

ALSは主に中年以降に発症し、全身の運動神経が進行的に変性・脱落する疾患です。発症すると、全身の筋肉が委縮、麻痺し、症状が進行するにつれて自発呼吸もできなくなり死に至るという難病です。2011年現在、その病因は明らかになっておらず、有効な治療法はありません。

研究チームは、日本人のALS患者集団1,305人と一般対照者集団4,244人について大規模ゲノム関連解析※4を行い、ALSに罹患し易さの度合い(疾患感受性)に関連する新規SNPをZNF512B遺伝子内に発見しました。ZNF512B遺伝子は、機能未知の転写因子で、ALS発症との関わりについて不明でした。解析の結果、ZNF512B遺伝子のイントロン※512にあるSNP(ALS感受性SNP)がALSの感受性を高めること、このALS感受性SNPがZNF512B遺伝子の発現量を低下させることを突き止めました。さらに、ZNF512B遺伝子が神経細胞の保護や生存に必須なTGF-β※6シグナル伝達経路の下流の遺伝子(群)の発現を促す転写因子であることも発見しました。これらの結果から、ALS感受性SNPを持つ患者では、ZNF512B遺伝子の発現量が低下し、神経細胞保護シグナルが減弱することによって、ALSへの感受性が高まることが分かりました。ALS感受性遺伝子は既に欧米で見つかっていましたが、今まで東アジア人種では見つかっていませんでした。今回日本人を対象に解析した結果、初めて東アジア人でALS感受性遺伝子を発見しました。

今後、ZNF512B遺伝子の機能解析を通じて、ALSに対する感受性の仕組みの解明と新規治療法の開発が進むことが期待されます。本研究成果は、英国の科学雑誌『Human Molecular Genetics』オンライン版(6月10日付)に掲載されました。

  1. 背景
    筋萎縮性側索硬化症(ALS :amyotrophic lateral sclerosis)は、大脳、脳幹、脊髄の運動神経が選択的かつ進行的に変性・脱落し、全身の運動麻痺を引き起こす原因不明の疾患です。数年の経過で手足や顔面、舌などの筋肉の萎縮と筋力低下が進行し、全身が膠着状態となり、寝たきりの状態になります。さらに進行すると、呼吸筋麻痺が生じ、人工呼吸器なしでは生存できなくなります。この病気は、患者自身の苦痛に加え、家族などへ物心両面の負担が大きく、社会・経済的にも深刻な問題となっており、その発症原因、病態解明と新たな予防・治療法の確立が待ち望まれています。過去の疫学※7調査などから、大部分のALSは、遺伝的因子と環境因子の相互作用により発症する多因子遺伝病であることが明らかになっています。このため、研究グループは、ゲノム関連解析を用いて、ALSの遺伝的因子、すなわちALS感受性遺伝子を特定し、その働きの解明に取り組みました。

  2. 研究手法と研究成果
    研究グループは、日本人標準多型データベース(JSNPデータベース)※8から抽出した52,608の一塩基多型(SNP: single nucleotide polymorphism)を用いて、ALSの大規模ゲノム関連解析を行いました。
    まず、個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクト(オーダーメイド医療実現化プロジェクト)が収集し、バイオバンクジャパン※9に登録されている454人のALS患者集団と958人の一般対照者集団の試料を用いて関連解析を行いました。次いで、有意な関連を得たSNPについて、先の集団とは別の249人のALS患者集団と1,030人の一般対照者集団で関連を確認しました(表1解析セット1)。さらに、602人のALS患者集団と2,256人の一般対照者集団を用いて関連の追試を行いました(表1 解析セット2)。この一連の関連解析の結果、ALSと非常に強い関連(P値= 9.3 X 10-10、P値とは偶然にそのようなことが起こる確率)を示すSNPをZNF512B遺伝子のイントロン12内に発見しました。ZNF512B遺伝子は、機能未知のタンパク質をコードする遺伝子で、コンピュータ予測によると転写因子をコードしていると推測されていましたが、ALSとの関連は知られていませんでした。そこで、ZNF512Bタンパク質の機能や、このALS感受性SNPによるALS発症の仕組みを主に培養細胞を用いた実験によって解析しました。その結果、ZNF512Bタンパク質は神経細胞の保護や生存に必須なTGF-βシグナル伝達経路の下流の遺伝子(群)の発現を促す転写因子であること、ALS患者の運動神経で発現が増加していることを突き止めました。さらに、ALS感受性SNPがZNF512B遺伝子それ自体の発現を低下させることを発見しました。これらの結果から、ALS感受性SNPを持つ患者では、ZNF512B遺伝子の発現量が低下し、神経保護シグナルが減弱することによって、ALSへの感受性が高まることが分かりました(図1)。

  3. 今後の期待
    今回、神経保護・生存シグナル伝達経路に関与するZNF512B遺伝子の発現低下がALS感受性に関与することが分かりました。今後、この細胞内シグナル伝達経路で相互作用する遺伝子産物を発見し、解析することで、ALS発症の仕組みの一端を解明できるようになります。これらの知見は、新たな治療戦略を生み出すとともに、画期的な治療薬創出へのシーズにもつながるものと期待されます。

報道担当・問い合わせ先

(問い合わせ先)
独立行政法人理化学研究所
ゲノム医科学研究センター 骨関節疾患研究チーム

チームリーダー 池川 志郎
TEL:03-5449-5393 FAX:03-5449-5393

上級研究員 飯田 有俊
TEL:03-5449-5715 FAX:03-5446-5393

横浜研究推進部企画課
TEL:045-503-9117 FAX:045-503-9113

(報道担当)
独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
TEL:048-467-9272 FAX:048-462-4715

<補足説明>

※1 一塩基多型(SNP: single nucleotide polymorphism)
ヒトゲノムは30億塩基対のDNAから構成されているが、個々人を比較するとそのうちの 0.1%の塩基配列に違いがあると見られ、これを遺伝子多型と呼ぶ。遺伝子多型の内、1つの塩基が、ほかの塩基に変わるものをSNPと呼ぶ。遺伝子多型は遺伝的な個人差を知る手がかりとなるが、その多くはSNPである。そのタイプにより、遺伝子をもとに体内で作られる酵素などのタンパク質の働きが微妙に変化し、病気のかかりやすさや医薬品への反応に変化が生じる。

※2 オーダーメイド医療実現化プロジェクト
文部科学省リーディングプロジェクトとして2003年に開始したプロジェクト。遺伝暗号の違いを基に病気の原因、薬の副作用の原因などを明らかにして、新しい治療法や診断法を開発するためのプロジェクトで、理研ゲノム医科学研究センターが中核機関として遺伝子解析の中心的な役割を果たしている。詳しい情報は、ホームページ(http://www.biobankjp.org/)上で公開されている。

※3 多施設共同研究
東京大学医科学研究所(中村祐輔教授)、徳洲会病院グループ(徳田虎雄徳洲会理事長、大嶋秀一千葉徳洲会病院総長、佐野元規千葉西総合病院副院長、亀井徹正茅ヶ崎徳洲会総合病院院長)、名古屋大学神経内科(祖父江元教授、田中章景准教授、渡辺宏久講師、勝野雅央特任講師、熱田直樹助教)、東北大学神経内科(青木正志教授)、国立病院機構相模原病院神経内科(長谷川一子医長)、静岡てんかん・神経医療センター神経内科(溝口功一統括診療部長)、徳島大学神経内科(梶龍兒教授)、自治医科大学神経内科(中野今冶教授、森田光哉講師)、東京大学神経内科(辻省次教授、高橋祐二助教)らとの共同研究。

※4 大規模ゲノム関連解析
疾患の感受性遺伝子を見つける方法の一つ。疾患を持つ群と持たない群とで、遺伝子多型の頻度に差があるかどうかを統計学的に比較する解析方法。本研究では、ヒトゲノムに散在する5万カ所のSNPを用いて関連解析を行った。検定の結果で得たP値(偶然にそのようなことが起こる確率)が低いほど、関連が強いと判定する。

※5 イントロン
ゲノム上の遺伝子は、複数のエクソンとその間にはさまれるイントロンとからなる。遺伝子のエクソン部分はRNAに転写されるが、イントロンの部分は転写されない。イントロン12とは、最初のイントロンから数えて12番目のイントロンをさし、エキソン12とエキソン13の間のゲノム領域をいう。なお、イントロンには転写因子などが結合することによって、RNAの転写を修飾していることが知られている。

※6 TGF‐β(トランスフォーミング増殖因子β)
Transforming growth factor-βの略。発生初期段階から、生体における恒常性の維持等に多彩な作用を示すタンパク質。過去の研究から、TGF-βが神経細胞の生存・保護に関与することが知られている。また、一部にTGF-βシグナル伝達経路とALSの病態の関連を示唆する報告もある。

※7 疫学
人間集団を対象として、健康および疾病にかかわる要因を特定し、因果関係を明らかにすることを目指す学問。

※8 日本人標準多型データベース(JSNPデータベース)
日本人の19万7000カ所のSNPデータにアノテーションデータ(遺伝子情報、位置情報、アミノ酸置換情報等)を付加して、ウェブサイト上で公開しているデータベース。遺伝子単位の検索結果表示には、国内外の12の多型関連情報データベースへのリンク情報も提供している。

※9 バイオバンクジャパン
オーダーメイド医療実現化プロジェクトの基盤となるDNAサンプルおよび血清サンプルを約40疾患(延べ約30万人)から収集し、臨床情報とともに保管している世界でも有数の資源バンク。情報は個人情報管理に配慮し、幾重にも厳重に管理されている。東京大学医科学研究所内に設置されている。

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表1  ZNF512B-SNPとALSとの関連

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図1 ALS感受性の仕組み

TGF-βシグナル経路は、神経生存の維持に必須なシグナル経路。ZNF512Bタンパク質は、TGF-βシグナル経路の正の調節因子。ALS感受性SNPでは、ZNF512Bの発現低下を引き起こす。この発現の低下により、神経保護作用が減弱し、ALSの感受性が高まる。