メタボローム研究チーム

1.リピドミクス新技術の開発と応用

 脂質はエネルギー源、生体膜成分、シグナル伝達分子としての機能をもち、生命活動において必須です。従来の生命科学における脂質研究は、脂質の「量」を 重視して行われてきましたが、脂質には多くの種類、すなわち「質」の違いが存在します。生体内 には多様な脂肪酸分子種が存在し、その質の違いや代謝バランスの変化が、様々な炎症・代謝性疾患に関わることが示唆されています。これら脂質分子の構造的 な特質を「リポクオリティ」と捉え、リポクオリティの多様性が果たす生物学的意義について考える必要があります。しかしながら、リポクオリティを網羅的か つ明確に区別する解析技術は未だ発展途上にあり、またリポクオリティを制御・識別する分子機構やその生物学的意義に関する理解は萌芽的な段階にあります。

 

 リポクオリティの変化がもたらす様々な表現型について、その理解を進める上で欠かせないものの一つが、リポクオリティの違いを広範囲かつ明確に区別できる メタボローム解析システムです。私たちはこれまでに、脂肪酸代謝物を包括的に解析するためのメタボローム解析システムを確立し、炎症の制御において脂肪酸 代謝の質的変化が関与する可能性を見いだしてきました。しかしながら従来のメタボローム解析は、予め解析対象を想定するターゲット解析が主でした。様々 な生命現象に関わるメカニズムを文字通り「発見」するためにも、特定の脂質分子種を選択的に測定する従来型のターゲット解析に加え、分子種を特定しないノ ンターゲット解析を組み合わせた「マルチリピドミクス」を実現することで、先入観のない探索範囲の拡大および解析データの質の向上を目指す必要がありま す。具体的には、より広範囲の脂質分子種の化合物ライブラリーと実測データに基づくデータベースを整備し、客観性と網羅性の高い分析を実現する必要があり ます。私たち は、各種脂肪酸の合成・代謝酵素の遺伝子改変動物、あるいは異なる脂肪酸を含む食餌を与えることにより体内の脂肪酸代謝バランスが変化した状況を造り出 し、これとマ ルチリピドミクスとを組み合わせることにより、様々な生命現象に関わる分子メカニズムを脂肪酸代謝の質(リポクオリティ)の違いという観点から明らかに し、さらにリポクオリティの違いを機能的に反映する生理活性脂質の同定を目指しています。

 

  また、開発したソフトウェアプログラム(RIKEN PRIMe)および脂質データベース(Lipoquality DB)は無償で公開しています。

 

図1 脂質代謝バランスの変化と病態との関連を捉えるためのメタボローム研究

 

 

 

2.ω3脂肪酸の代謝と抗炎症作用

 

 エイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)などのω3脂肪酸には、抗炎症作用や心血管保護作用があることが知られています。ω3脂 肪酸は、ω6系であるアラキドン酸から生成する起炎性メディエーター(プロスタグランジンやロイコトリエン)の生成と作用に対して拮抗することで炎症を抑 制すると考えられてきましたが、新たにEPAやDHAから生成する抗炎症性代謝物が見いだされ、その生理機能が注目されています。このような背景のもと、 私たちはアラキドン酸、EPA、DHA由来の代謝物を包括的に捉える目的で、LC-MS/MSを用いたターゲット解析システムを確立しました。また、哺乳 類では本来持たない機能であるω3脂肪酸合成能を持たせるため、線虫由来のω3脂肪酸合成酵素(Fat-1)を遺伝子導入したトランスジェニックマウス (Fat-1 Tgマウス)を用いています。このFat-1 Tgマウスは、炎症性疾患やがんに対して強い抵抗性を示し、これまで栄養学的な解析しかなされてこなかったω3脂肪酸の生理機能に対して遺伝学的な根拠を 与え、かつ細胞・分子レベルでの解析が可能になりました。これらの研究を通して、これまでに栄養学的に広く認知されていたω3脂肪酸の疾病予防効果について、特定の細胞や臓器から生成する内因性の抗炎症性代謝物が関与する可能性が次第に明らかになってきました。

 

 

 

図2 ω3脂肪酸EPAの代謝経路と代謝物のさまざまな機能

RIKEN NEWS No.408 June 2015より抜粋

 

 

3.炎症の収束に関わる細胞と脂肪酸代謝系の包括的解析

 

 炎症反応は外傷や感染に対する重要な生体防御系です。一方、炎症の遷延化および慢性化の分子機構の一つとして、炎症の収束機構の障害の可能性が示唆されています。すなわち生体の恒常性維持において、一旦誘発された炎症は適切に収束する必要があり、この制御が破綻すると慢性炎症へと発展してしまうことがあります。私たちは、炎症の収束に関わる細胞やメディエーターを網羅的に特定し、生体が本来兼ね備えている能動的な炎症収束能力について分子レベルで明らかにすることを目指しています。その結果、能動的な炎症収束に関わる好酸球やマクロファージの機能が、12/15-リポキシゲナーゼによる脂肪酸代謝系によって制御されている可能性が明らかになってきました。本研究で見いだされた内在性の炎症収束因子を、「治らない炎症」を基盤病態とする慢性疾患に適用し、病態解明およびこれまでにない新しい治療戦略としての応用を目指しています。

 

 

図3 炎症の収束に関わる好酸球の新規機能