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追悼 石坂公成先生を偲んで

2018年7月17日 NEWS


ishizaka photo

石坂公成先生 (2006年 石坂先生の傘寿を祝う会にて)

2018年7月6日、朝7時58分に石坂公成先生が死去されました。1925年12月3日のお生まれで、満92歳でした。石坂公成先生は、現在の理化学研究所生命医科学研究センター(IMS)の前身である、理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターの特別顧問として、2001年から12年間にわたってセンターの発展に貢献してくださいました。

石坂先生は、35年におよぶ米国での研究生活において、アレルギー反応に関与するIgE抗体を発見、ジョンズホプキンス大学免疫部長を経て、ラホイヤ・アレルギー免疫研究所(LJI)を設立、米国免疫学会会長やカリフォルニア大学の教授等を歴任されました。帰国後も、科学と真摯に向き合っておられた石坂先生の存在は、我々センターの研究者にとって常に心引き締まるものでありました。

石坂先生が設立に関わったLJIとIMSは、免疫・アレルギー疾患の克服という共通の目標の下に日米の研究交流を継続し、現在も、ヒルデ・シェルートル チームリーダーを中心とした共同研究ラボが、IMSにて活発に腸管免疫研究を推進しています。

アレルギー研究は、現在もセンターの重要な研究テーマです。2001年にセンターが開始したENUプロジェクトはアトピー性皮膚炎のモデルマウスを樹立することに成功、このマウスを用いて、センターの複数の研究室が一丸となって皮膚アレルギーの発症プロセスの解明に取り組み、免疫のみならず、ゲノム、エピゲノム、神経科学、情報科学など、基礎と臨床を結ぶ分野横断型プロジェクトに発展しました。また、自然免疫系とアレルギーとの関与、新たな喘息アレルギー疾患制御など、若手研究者が中心となって、アレルギー研究における新概念を開拓しています。

石坂先生が残された発見、そして科学者としての研究に対する厳しい姿勢は、私たちの心に根付き、これからも励まし続けてくれることでしょう。

理化学研究所 生命医科学研究センター
センター長
山本 雅

石坂公成先生は、現在のIMSの前身、理化学研究所 免疫・アレルギー科学総合研究センター(RCAI)のメンバーにとって、かけがえのない存在でした。ご自身の研究だけでなく、後進の育成や日本における免疫・アレルギー政策にも尽力しておられました。

2000年という節目の年の瀬が迫った12月29日、私のところに一通のFAXが届きました。2001年の概算要求で理化学研究所に免疫・アレルギーのセンター設置が認められ、石坂先生がその設立準備委員長に任ぜられ、免疫・アレルギー疾患の制御に資する基礎研究所をつくるために私に協力してほしい、との知らせでした。その後、理化学研究所理事長から、私がセンター長を拝命し、石坂先生が特別顧問に就任されましたが、予算獲得に精力的に活動され、予算30億規模の新しい免疫・アレルギー研究の国内初の拠点が政府支援のもとに立ち上がることになったのは、石坂先生のお力なくしては実現できなかったことです。

石坂先生は、米国デンバー小児喘息研究所で1966年、奥様の照子先生とともに、アレルギーを起こす物質(それをレアギンと呼ぶ)を発見しました。レアギンは、他の抗体と異なり、レアギン活性を持つ血清と抗原を加えても、免疫沈降反応として捉えることができず、その正体は40年間もわからぬままでした。しかし、石坂先生はいち早く、レアギン活性はIgA分画に存在するものの、抗IgA抗体で不活化してもレアギン活性が残ることを発見し、新しい抗体の存在を確信していました。沈降反応を起こさないレアギンを追求する唯一の手がかりは、レアギンが皮膚を感作することを利用して、皮内反応でその存在を確認することで、これは、臨床家の協力なしには実現できぬものでした。

そこで、米国デンバー小児喘息研究所に渡った石坂御夫妻は、トラック一台分にもおよぶアレルギー患者の血清から、ご自身と照子先生の背中の皮膚を互いに利用して、皮内反応を頼りにレアギンを同定したのです。最終的には、放射性同位元素で標識した抗原を使って、寒天ゲルの中で、抗原-抗体反応を可視化することに成功。IgG、IgM、IgA、IgDに続く5番目の新しい抗体として、IgEと命名しました (Ishizaka K., Ishizaka T., Hornbrook MM. Physico-chemical properties of human reaginic antibody. IV. Presence of a unique immunoglobulin as a carrier of reaginic acitivity. J. Immunol. Vol. 97, p. 75-85, 1966)。

その後、1989年にキリンビール株式会社の出資でサンディエゴに設立されたラホイヤ・アレルギー免疫研究所(LJI)の所長として、研究所の基礎を築かれると共に、後進の育成に尽力されました。1996年、米国生活に終止符を打って、照子先生の故郷山形市に帰国されましたが、残念なことに照子先生は入院生活を余儀なくされてしまいました。石坂先生は朝から夕方まで照子先生の傍らに付き添われながらも、時間をやりくりして政府の研究制度審議会、月例の学士院、各種の講演会、さらに、設立されたばかりの理化学研究所免疫・アレルギーセンターで開催していたアレルギー臨床戦略会議に毎月ご出席になり、IgE産生を抑制するアレルギーワクチン開発の基礎研究プロジェクトに参加され、現役として活躍されていました。

石坂先生は、アレルギー研究の功績によって、1972年に米国パサノ賞、1973年にドイツPaul Ehrlich and Ludwig Darmstaedter賞、武田賞、そしてカナダのガードナー賞を奥様の照子先生と受賞されています。1974年には、朝日賞、恩賜賞・日本学士院賞、文化勲章、1979年に 米国医科大学協会のBorden 賞、2000年に国際賞を受賞されました。

石坂先生が残された研究思想と研究態度は、永く研究者の手本になると確信しています。

 

理研 科技ハブ産連本部 創薬・医療技術基盤プログラム
客員主管研究員
谷口 克